久々の森博嗣
面白かった。
引用
「企画したい人」というのが存在する。自分は「アイディアマン」だと自慢する。新しい言葉とか流行っているものとかでイベントやグループを立ち上げる。あとは、「勢い」で人がついてくると信じている。言葉は悪いが、詐欺と同じシステムだと思う。できるだけ巻き込まれないように、周囲の人たちは注意をした方が賢明だ。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
もちろん、共通の知見というものがある。そういうものは、「基礎的」なものだと認識され、それを知ったうえで、専門的なより先端の知識を学んだのである。しかし、現在ではそうもいかなくなった。極端に言えば、大学では基礎知識を習い、大学院に進まないと専門は教えてもらえない、みたいな雰囲気になりつつある。その大学院でも、まだ基礎知識であって、専門知識は企業の一員になってからだ、という意見だってある。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
教科書どおりになってしまうと、もう誰が講義をしても同じだ。教え方の上手い予備校の先生の方が適任かもしれない。大学に一流の研究者を集めていることの意味は、最先端の情報に学生が触れられることだ。多少は最先端を「講義」に取り入れてほしい。
この問題の焦点は、単なる仮説であり論文を投稿した段階のものを、「大発見だ」と騒ぎ立てたマスコミにある。たまたま、若い女性の研究者だったから、余計にマスコミは騒ぎやすかった。この浅ましさが招いた悲劇といえるのではないか。マスコミは、反省をしているだろうか。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
「保身」というのは、誰にでもある。自分の立場を守ろうとするのは、本能的なものだし、その活動をまったくするな、というのは無理な話かもしれない。だから、都合の悪いことは載せないというのも、ある意味自然だ。ただ、大衆は、そういう目でいつも報道を見なければならない。「報道は公平」みたいに言っているのが噓なのだ。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
「私、○○が嫌いなんです」と言うことは日常だが、この物言いは数学的に正しくない。僕は餡子が大嫌いで、饅頭も最中も善哉も食べないけれど、実はこの世に存在するすべての餡子を食べて試したわけではない。だから、餡子が嫌いだ、ということを実証していない。それが実証できるほど餡子が好きではないし、そんな実証は不可能だからだ。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
おそらく、空気を読んでいるつもりなのだ。そうすることで、周囲との協調を得ようと努力している。みんなと一緒に笑い、みんなと一緒に泣く。それが人生だと考えている。子供もそんな大人を見て育つ「良い子」が増えるだろう。なにしろ、自分が言うまえに、ママが「楽しいね」なんて言ってくれるから、それがその子の「楽しさ」になっていく。周囲に誰もいないと、自分は何が楽しいかもわからない。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
言ったことや、書いたことを真に受ける人がいるのだ。言うことも書くことも、現実の一部であるし、なかには現実でないことも紛れている、そのうえで自分に利がある部分を吸収する、というのがごく普通の人がやっていることであるけれど、書かれていることがすべてだ、と思い込むと、「世の中そんなに上手くいくか!」と頭に来てしまうわけである。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
シュレディンガの猫ではないが、晴天なら晴れ男になり、雨なら雨男になっているだけで、観測されるまでは両者は同時に存在している、と考えるのが科学的である。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
だが、天才の計画は少し違う。それは、起こりうる可能性を網羅した筋道であって、こうなったらこうする、この場合はこう対処する、というように複数の道筋を決めておくことである。コンピュータのプログラムがこれに近い。運動会とコンピュータのプログラムは、ここが違う。プログラミング用語には「if」があって、もしこうだったら、そのときはこちらの道筋を通る、と指定する。あるときには、そのifによって、以前のステップへ戻ったり、解を見つけるまで繰り返したりする。そのすべてを含めて「計画」なのだ。つまり、計画が一元的ではなく、平面的なマップであり、さらにもっと多次元的になる。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
楽しいことをしようと思ったとき、目の前にある楽しさから選択していたのでは、大きな楽しさは手に入らない。いろいろな可能性を調べ、少し遠くにある楽しみを目指すと、それだけ得られるものも大きい。そういうことを学ぶのである。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
どんな選択をして、どんな結果になっても、そこに価値を見つけることはできる。完全な失敗であっても、なにか得るもの、学べるものがある。そういう目で見られる人は、つまり失敗をしない。選択を間違えないように他者からは見えるし、自分でも、いつも自分は得をすつ、恵まれている、ありがたいことだ、と感じているのである、一方、同じものを選択しても、価値を見つけられない人は、自分だけが損をしているように常に感じてしまい、運がない、環境が悪い、と悲嘆する。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
もう少し簡単に言うと、問題を解かせないためには、問題が解けたと勘違いさせることが有効なのである。これはゲームでも応用できる。相手に勝ったと思わせることが、こちらが勝つために有利になることが多い。油断させるという意味もあるし、思考停止を招く効果もある。人は「問題が解けた」と思った瞬間もう考えなくなるのだ。
森博嗣「本質を元推す100の講義」
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