人生において、都合の良い展開はいくらでも起こりうる
この本ではなかったけど、この著者の別の本のレビューに、「こんな都合よく人生は展開しない」という書き込みがあったけど、こういうことって、実は現実に起こるものなのだ。というのをたくさんの人を観ていて思う。
それは人の「在り方」によるものなのだけど、それは説明してもわからないだろう。
なぜなら、その人はそういう「都合のいい展開」を人生において経験していなくて、おそらく、それはこれからもそうだろうから。
読んでいたら、美味しい野菜が食べたくなってきた本。
引用
「つまりあんたは、種の蒔き方と畝の立て方ぐらいしかわかっていないはずだよ。私はね、大根なら五十年は作ってきた。あんたは五十年を長いと見るかい?」
垣谷美雨「農ガール、農ライフ」
「それは、もちろん」
「そうじゃないんだよ。春の大根を作った経験はたったの五十回しかないってことなんだ。ほかの商売じゃこんなに少なくないよ。例えばラーメン屋のおばさんならラーメンを何回作る?五十年やってれば、百万回くらいは作ってるよ。そうだろ?野菜は種を蒔いてから収穫するまでに日数がかかるから、経験を積むのにも年数が要るんだよ」
現代人のほとんどが農業を知らない。買ってきた物を食べ、買ってきた服を着て、買ってきた洗剤で家の中をきれいにする。資源には限りがあるのに、大量消費社会は止むこともなく続いていく。ひたすら物を買って捨てるだけの生活は、虚しいだけでなく、地球の寿命を縮めている。昔ながらの直感や知恵を捨てて、現代人はすぐに医者にかかりたがる。会社に勤めたところで、労働に見合う賃金は支払われず、儲かっているのは社長だけだ。それでも多くの人が会社に一生を捧げる。
垣谷美雨「農ガール、農ライフ」
コメント